上のグラフは日本近代史を数字面から鮮やかに説明している。先ず最初の対外戦争であった日清戦争の時期(1894~95)の上昇率は比較的小さい。これは日露戦争に比べてさほど戦費がかからなかったからである。その後日露戦争勃発まで低水準で推移しているのは戦費以上の莫大な賠償金を得たからである。 日露戦争時期(1905~95)、債務比率は急激に高まる。戦費は日清戦争の10倍に達したにも関わらず賠償金が取れなかったので第一次大戦勃発まで債務の償還(特に外債)に苦しむことになる。第一次大戦が日本にとって「天佑」と言われる所以である。1919年第一次大戦後債務が累増しているのは戦後不況、関東大震災、金融恐慌の後始末による。 1931年~36年にかけて安定的に推移したのは、ごく短期間で終わった満州事変を除く対外戦争がなかったこと、世界的な海軍軍縮のおかげである。 1937年から急激に債務が膨らんでいるのは支那事変の勃発と軍縮条約の失効による海軍軍事費の増大による。そして当然ながら1941年暮の大東亜戦争勃発によって急激に債務比率が高まる。敗戦によって急激に債務比率が下がったのはなぜだろうか。それはハイパーインフレによって事実上債務を棒引きしたからである。幸か不幸かこの時日本国債をもっていたのは日本人自身であって対外債務はほとんどなかったので国際的な信用喪失を招かないで済んだ。この時日本は世界的に孤立していたので日本に金を貸すような奇特な国も人もいなかったからである。 その後高度成長の到来と共に、債務比率は下がり1965年に最低となった。石油ショックと高度成長の終わりと共に債務比率は増大し、バブル期の増収で一時的に低下したけれど、バブル崩壊後税収は減少し、景気対策として財政支出は増えたので再び上昇に転じ、現在は日本近代史上財政的には最悪の時敗戦の年1945年に匹敵するまでになった(GDP比2倍)。 日本近代史を概観して平時(戦争のない時期)にこれだけ債務を膨らませた例はない。なぜそうなったのだろう?それは敗戦によって日本は軍事大国の道を放棄させられたが代って土建大国となったからであり、不況対策としては公共事業しか知らなかったことによる(馬鹿の一つ覚え)。 このグラフを見れば、「政府支出によって景気が回復し税収は増えるので(乗数効果)公共事業は合理的な政策である」という主張の間違いが一目瞭然である。 高橋是清はケインズに先立つケインズ主義者と評されることがあるが、やみくもに支出を増やしたわけではない。日本経済が金融恐慌と金解禁(実質的な円切り上げ)による痛手から立ち直ると引き締めに転じ軍部の恨みを買った。 今尚財政支出を増やせという論者がいる。リチャードクー氏、森永卓郎氏など。彼らにこのグラフを見せて感想を聞いてみたい。
(ジャーナリスト 青木 亮
(ジャーナリスト 青木 亮
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