下降ウェッジを上抜けたように見える。
下は、ボックスチャート(勝手に名付けてるだけ)
緑展開を、いちお。
朝鮮特需とか腐った買いが入るかもしれないので、円売りを伴う。
というのも、ドル円がクロス円に対して屈強過ぎるのが引っ掛かる。
戦争の開始は、しばしば相場の暴落すなわち鋭角的な下落を招き、その後、株価が上昇する。 そして、戦争終結後には、再び鋭角的な下落あるいは暴落があり、その後、たいていの場合、戦時につけた水準以上の高値をつける。W・Dギャン
ギャンはこのように言葉を残してるけど、これは当事者をあらわすのだろうか。。。。
外部環境
34日のフィボナンバーの変化日がそろそろ、騰落レシオが60近辺
底値からのフィボ50%が9200
61.8が8689
雲週足下限が8894
北朝鮮・韓国リスク
ここで、朝鮮戦争時の株価の流れ。。。。
スターリン・ショック
1953年3月5日
朝鮮戦争がもたらした特需により日本株は大きく上昇していた。朝鮮戦争勃発直前の1950年6月24日に91円94銭だった日経平均は、1952年末には362円64銭まで買われ上昇率は294%に達していた。翌1953年1月は前月比93円79銭高の456円43銭。わずか1カ月で25.86%の上昇と、市場は熱狂に沸いていた。
2月11日、石井久は独眼流の筆名で株式新聞に、「桐一葉、落ちて天下の秋を知る」で始まる名高い相場の下落転換警告を発す。
3月5日、ヨシフ・スターリン死去。ソヴィエト連邦最高指導者の死は朝鮮戦争の終結を早め、戦争特需の剥落を予想させた。市場は翌日から暴落の渦の中に落ち込んでいく
1953年3月5日
朝鮮戦争がもたらした特需により日本株は大きく上昇していた。朝鮮戦争勃発直前の1950年6月24日に91円94銭だった日経平均は、1952年末には362円64銭まで買われ上昇率は294%に達していた。翌1953年1月は前月比93円79銭高の456円43銭。わずか1カ月で25.86%の上昇と、市場は熱狂に沸いていた。
2月11日、石井久は独眼流の筆名で株式新聞に、「桐一葉、落ちて天下の秋を知る」で始まる名高い相場の下落転換警告を発す。
3月5日、ヨシフ・スターリン死去。ソヴィエト連邦最高指導者の死は朝鮮戦争の終結を早め、戦争特需の剥落を予想させた。市場は翌日から暴落の渦の中に落ち込んでいく
また、盛り返してきた北朝鮮銘柄の石川製作所
う~~~ん。。
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